恋愛観を振り返ってみる①
こんにちは、お久しぶりです、ベティです。
ブログを書くのが1年半ぶり?程で引いてます。
何故書かなくなったのか·····?
ぶっちゃけ幸せになったからですね(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)
どれほど幸せになったかと言うと
・ストレスが無くなって攻撃性が減った
・しんどそうな人を見てももっとしんどくなれ、とか思わなくなった
・深夜に自分より可哀想な人を見て悦に浸る行為を辞めた
えーっ!でしょ。
本人が1番えー!!!なんです。
今までは、水商売してたしなんなら尖ってなんぼ!!みたいな人生でしたが今はすっかり落ち着きました。
自分がどれだけ「怒り」と「若さ」で動いてたか分かります。
さて、自分語りもこの辺にして本題に入ります。
皆さん、大切な恋人居てますか?
この質問をした時に笑顔ではい!!と答えられる方はまずこんなきっしょいブログ見ないと思いますがここまで見てくださってる方は同士だと信じて書きます。
また、自分語りになってしまいますが私は幼少期誰もが認める陰キャでした。
走るのも遅いし(ご存知の通り小学校では走るの遅いヤツに人権はない)、みんなに好かれたくてレーズンパンのレーズンをみんなの分食べたら気持ち悪がられたり、1人だけ色鉛筆クーピーだったし、おばあちゃんが宗教家で「伝道奉仕」という家に行って神様を進める行為等のせいで周りから浮いてました。
しかしながら小学生の私は運動はできないものの、まぁまぁ可愛かったので大人からはチヤホヤされていましたので自尊心は死んでなかったと思います。
ですが小学5年生の頃、オタクになりました。
好きなキャラクターのお手製シールを連絡袋(連絡帳を入れる謎の袋)に貼ってしまった時から取り返しのつかないオタクキモ女としての人生のスタートです。
そして中学生。
女の子あるあるだと思うのですが、ブラをしだした辺りから急に皆の女子力が爆上がりしてメイクとかヘアアレンジとかめっちゃしだすじゃないですか。
この辺で「垢抜け方」に雲泥の差でてきます。
おしゃれな子、可愛い子はそのまま特進コースにいきます。
皆が容姿を磨いたり、恋人を作ったり、友達とコスメを買いに行ったり青春を謳歌してる中。
私はめっちゃ太ってました。あと髪の毛がベチャベチャでした。
これには理由があって祖母が「見た目を磨くなんて不道徳」という呪いをかけていたことにあります。(これは19歳まで続く)
故に、「オタク」「貧乏」「デブ」という最悪の組み合わせ故に意地悪な男から影で「三重苦」と呼ばれてました。
なんやねんそれ殺すぞ。
当時、古文がチャラ男グループの中で流行ってたのもあったのでしょう。
そしてなんやかんやあって、13歳で祖母の末期がん発覚14歳の頃に祖母が亡くなりました。
13歳~14歳までスポーンと抜けてるので辛かったのでしょうが何より家事や掃除は全て祖母がしてくれていたので実家が汚部屋になりすぎて
やんちゃグループもいじらない程の底辺生活になってしまいました。
父もほぼほぼ家に帰ってこなかったので学校にはもちろん行かないし、行ったとしても何したか覚えてないのでぼーっとしてたんだと思います。
そしてここで宗教から抜けることが出来ました!!!
しかしながら、抜けたところで洗脳は解けません。
周りは恋愛や青春を楽しんでる中、私は相変わらずオタクでした。
寧ろ「恋愛やオシャレなんて猿のするもの、本能に負けている、ハルマゲドンで全員滅ぶんだ」という非モテ拗らせ一直線でせっかく話しかけてくれたクラスメイトを「─ザコと話さない」とか言って怒らせてました。ごめんね、ほんとに。
まあ地元はマイルドヤンキーの聖地だったので貞操観念が死んでたのも理由の一つかもしれません。
この処女信仰のおかげで真っ直ぐ進めてきたのはあるので良かったのかな…
こんな私ですがオタク友達には恵まれ、キャラの夢小説やエロ絵を描いてhshsしてたのですが気がつくと
友達全員に好い人が居ました(^^)(^^)(^^)(^^)(^^)
特に1番仲良かったYに至っては彼氏が出来たと知らせてくれた後に「絶対に高校生までセックスはせん、ベティに嫌われたくないから」と言い翌日にはセックスしてました。
この世に信じられる愛なんてない。
全て肉欲と快楽に汚れた偽りの恋である。
バビロニア帝国の淫婦はこの事だ!!!
と友達のおもっくその裏切りを受け中学生活は終わりを迎えようとしてました。
第2章に続く─·····